hardware, コラム, 失敗談, 歴史, 雑談

注意: 読んでも時間の無駄、思い出話です。35歳未満の方はそっと閉じていただければ幸いです。

15年前 「まぁまぁ」定番のNIC

 10年、いや15年以上前の Linux。コンピュータ屋さん以外にもやっと Linux というものが認知されはじめ、流行のディストリビューションは Slackware から Red Hat Linux へ。「どうやら最近の Linux は結構ちゃんと動くらしいね」という巷での噂 …そんな頃を思い出すモノが会社の廃棄物置き場で発見され、思わず救出しました。

dec21140
DEC 21140

 もしかしてこれは DMM が東京進出した際にはじめて導入されたサーバに入っていたNICかも…?

 これは DEC の 21140 というチップが載った 100BASE-TX の NIC です。tulip というコード名のほうが通りがよいでしょうか。当時 Linux での NIC といえば、カニ(Realtek RTL8139シリーズ), 3com 3c905シリーズ、Intel PRO/100(8255x), そしてこの DEC の 2114x 系列 (tulip/de4x5) がポピュラーでした。他にもあることにはありましたが、Linux においての選択肢は多くありませんでした。

  1. Intel eepro100, 3com 3c905: 高級、ちゃんと動く
  2. DEC 21140: そんなに高価じゃない(6,000円程度と記憶) まあまあちゃんと動く
  3. RTL8139C or lator: 安価(2,000円?), やたらCPUを食う、運が悪いとNICが止まってOS再起動、カーネル刺さる
  4. それ以外: 安価、動くかわからない、カーネル刺さる

 この中で “まぁまぁ” の NIC は DEC 21140, これが定番でした。

安いNICはよくカーネルがpanicした

 安いNICはろくなことがありませんでした。CPUを食う、kernel panic で死ぬのは高負荷時とも限らず再現性が謎、速度が超遅くなる、NICの存在ごと沈黙、たまたま動いていてもカーネルをアップデートするとおかしくなるなどなど。珍しいパターンでは ネットワークに何かしら流れていないとCPUが食われてしまう(トラフィックのグラフと CPU使用率のグラフが対称っぽい形を描く)、などなど、さまざまな珍現象に見舞われました。

 FreeBSDの rl, RTL8139 ドライバのソースに「史上最低のひどいチップだ」のようなコメントが書かれていたことも話題になりました。

dec21140_2
DEC 21140 裏 (ぷらっとホーム)

 なんと、ぷらっとホームのシールが貼られています。DMM が東京進出した際のサーバがぷらっとホームの3Uのものだと聞き及んでおりますので、それに入っていた NIC でしょうか。

 tulip 互換をうたうチップはいくつか存在し(NETGEAR, ADMtek, なんかがあったような), ドライバのソースは互換チップのバグ ワークアラウンドで肥大化していた記憶があります。でも互換チップもちゃんと動かなかったような…

 この頃の PC-UNIX はメジャーな製品(≒ブランド品)しか動かず、貧乏学生のお財布には厳しかったものです。今日 2016 年 では Linux でもだいたいドライバはあるし、カーネルを巻き込んで死ぬようなものはとても少なくなりました。仮想化もあるし。何かハードウェアを買おうとする前に、Linux で動くのかどうか調べまくる人も減ったでしょう。


 ――なんて話を同年代の方々にしたら「チューリップ? そんなのあったなー」「俺は BSD だったし 21140 に特に思いdeはない」など しょっぱい反応……。そんな方々にも以下のカードはお気に召していただけたようです。

adaptec AHA-2940U2W
adaptec AHA-2940U2W

写真を撮ったあとそっと廃棄物置き場へ戻しました…。Interop 2016 でインターネットの未来を見たあと、ちょっと昔の思い出に耽っていました。
「歴史って、人類や生命全体の “おもいで” に違いないのよ」

イベント, ネットワーク, 歴史

NCSA Mosaicをいじったり、XMint端末でX11プログラミングをしていた18歳の夏を思い出すような、おっさんホイホイ展示が7ホールにありました。NCSA Mosaic、HotJava 1.0、Mozilla 1.0、Netscape Communicator 4.8、世界初のWebブラウザであるWorldWideWeb(ブラウザ名です)が動体展示されていたのです。いやぁ、良く動く状態を作ったなぁと感心してしまいました。

今朝行われたプレス向けブリーフィングで昔懐かしのブラウザ展示に関して紹介されたとき、少しだけプレスルームがざわつきました。隣にいた記者と私の会話が「おっさんホイホイですね(笑」でしたが、多分、多くの方々がそういう感想を持たれたと思います。


プレス向けブリーフィングの様子

Sun SPARC Station IPXで起動されたNCSA Mosaicと、NeXTで起動されたWorldWideWebはショーケースの中なので触れませんが、Mosaic、HotJava、Mozilla、Netscapeが実際に操作できるWindows端末もありました。SUN SPARC Station IPXは、私が研究室に入って初めてOSをインストールした機種です。懐かしすぎます。


体験コーナー

早速、懐かしのブラウザをいじって遊んでいたのですが、どこもかしこも表示できません。バーチャルホストだと駄目だったり、HTMLが新しすぎて駄目だったり、文字コードの問題で駄目だったり、といった感じです。ブラウザがいきなり死亡したりもしました。

どこか表示できるページはないかなぁとHotJavaなどをいじって遊んでいたら、たまたま通りがかった大学の先輩が「大学時代の自分のホームページを表示してみたら」と言いました。言われてみれば、自分が昔作ったままで放置しているWebページは、すごくレガシーな感じで残っています。「このページを最後に見たのは何年前だろうか。。。」とか思いつつ、化石を発掘した気分になった今日この頃でした。

小ネタ, 歴史

家系図の第2弾です。

今回はJavaになります。

多くのプログラムの影響を受け1995年、PHPと時を同じくしてJavaが誕生します。
その後、2000年に子孫であるC#が誕生します。

C#はJavaだけでなくDelphi Ouk ARM C++の影響も受けていますが、先祖にそれほど違いはないように思います。

ちなみにJavaの子孫は、いまのところC#だけです。

分かる人がみたらわかるんですかね?
私はちんぷんかんぷんなのですが。

小ネタ, 歴史

perlの家系図です。

コンピュータ歴史博物館で書き取ってきました。

1957年のFORTRANから始まり、いくつかの言語の影響を受けて1987年perlが誕生します。

その後、perlから影響を受けたrubyが1993年にphpが1995年に誕生するわけです。

ちなみにperlの子孫はrubyとphpだけです。

歴史

 

さて、無事にサーバは東京への引っ越しが終わり、

右も左もわからない私たち(といっても師匠と私の二人だけ)のインフラ運用が始まります。

データセンターも「なにそれ?おいしいの?」くらいの知識で

ラックにマウントできるサーバも始めて見ました。

お手本が全くない中で

試行錯誤を繰り返しながら、まさに手探り状態で運用していた記憶があります。

そういった中でサーバのラッキング、ケーブリングを行うわけですが、

ご想像の通りめちゃくちゃ汚かったです。

現DMMの社長がその配線を見て、たまらず配線し直したというのは語り草です。

さて、話は変わりインフラ環境についてです。

記念すべき東京での最初のデータセンターは

三鷹にある某セキュリティ会社が運営するデータセンター。

SVEC箱サーバが5台で1ラックからのスタートで

回線はうろ覚えなんですが確か10Mbpsでの契約だったと思います。

さすが長嶋さんの宣伝する会社だけあってセキュリティは万全

荷物までも空港のようにX線検査が必要でした。
※荷物の検査機器があるのは後にも先にもここだけです。

OS/ミドルウェア/アプリについては

OSは雑誌付録のredhat。みんなもそうでしたよね?

ミドルウェアはapacheと

当時、dmmではreal netwaorks社のrealvideo形式のコンテンツを配信していたので、

RealServerを運用していました。

通常のコンテンツページは静的なhtmlで掲示板などはperlで作成、

決済系のアプリケーションは他社の開発したパッケージ(perl版)を利用

といった構成です。

運用についてですが、

基本的には遠隔での操作

必要に応じて東京へ出張して作業を行っていました。

ipmiもなかったですしノートパソコンも持ってなかったので、

現地での作業は出たとこ勝負。

石川に残っているホストスオールオウの師匠と電話で連絡を取りながらの作業です。

Diskがnot foundだった時は冷や汗ものでした。

こうやって前途多難な自前でのインフラ運用が始まっていきます。

PAGE TOP