DMMのインフラの歴史②

 

さて、無事にサーバは東京への引っ越しが終わり、

右も左もわからない私たち(といっても師匠と私の二人だけ)のインフラ運用が始まります。

データセンターも「なにそれ?おいしいの?」くらいの知識で

ラックにマウントできるサーバも始めて見ました。

お手本が全くない中で

試行錯誤を繰り返しながら、まさに手探り状態で運用していた記憶があります。

そういった中でサーバのラッキング、ケーブリングを行うわけですが、

ご想像の通りめちゃくちゃ汚かったです。

現DMMの社長がその配線を見て、たまらず配線し直したというのは語り草です。

さて、話は変わりインフラ環境についてです。

記念すべき東京での最初のデータセンターは

三鷹にある某セキュリティ会社が運営するデータセンター。

SVEC箱サーバが5台で1ラックからのスタートで

回線はうろ覚えなんですが確か10Mbpsでの契約だったと思います。

さすが長嶋さんの宣伝する会社だけあってセキュリティは万全

荷物までも空港のようにX線検査が必要でした。
※荷物の検査機器があるのは後にも先にもここだけです。

OS/ミドルウェア/アプリについては

OSは雑誌付録のredhat。みんなもそうでしたよね?

ミドルウェアはapacheと

当時、dmmではreal netwaorks社のrealvideo形式のコンテンツを配信していたので、

RealServerを運用していました。

通常のコンテンツページは静的なhtmlで掲示板などはperlで作成、

決済系のアプリケーションは他社の開発したパッケージ(perl版)を利用

といった構成です。

運用についてですが、

基本的には遠隔での操作

必要に応じて東京へ出張して作業を行っていました。

ipmiもなかったですしノートパソコンも持ってなかったので、

現地での作業は出たとこ勝負。

石川に残っているホストスオールオウの師匠と電話で連絡を取りながらの作業です。

Diskがnot foundだった時は冷や汗ものでした。

こうやって前途多難な自前でのインフラ運用が始まっていきます。

歴史

Posted by Akira


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